日本キリスト教会 房総君津教会@ 本文へジャンプ
 特別伝道礼拝−2

2008年5月18日 特別伝道礼拝説教(在日大韓基督教会総幹事 朴寿吉先生)

「信仰生活の十段階 − 召命と献身」
  イザヤ書6章1〜8節、
  ルカによる福音書5章1〜11節

 皆さん、おはようございます。きょうの礼拝はこの教会の教会建設記念の特別伝道礼拝の第2回目としてご一緒に守りたいと思います。先月は習志野教会の小坂先生がされたということを覚えております。わたしはちょうどその習志野教会の近所に住んでおります。このたび南純先生が牧会なさる房総君津教会で皆様とともに礼拝をささげながら、主の御言葉の恵みを分かち合うことができ、本当にうれしく思っております。日本キリスト教会と在日大韓とは宣教協約を結んで10年が過ぎ、11年目を迎えますが、そのことを覚えてこれからも良き交わりが続けられることを願っております。


 一昨日、日本キリスト教会神学校でキリスト教教育学の講義をする前に、チャペルで説教をしました。その時、君津教会でイザヤ書6章からメッセージをする予定だということで、きょうの6章1節を見ますと、「ウジヤ王の死んだ年」という言葉がありますので、ウジヤ王についての話をいたしました。きょう南純先生に聞きますと、その場に南望さんが座っておられたんですね。明後日わたしは房総君津教会の方に行きますということで、イザヤ書の第6章の話をする予定だと、そしてこのイザヤ書6章の所を準備しながら「ウジヤ王が死んだ時」という言葉にもっと集中して考えたのであります。
 旧約聖書の中でウジヤ王についてもっと詳しく書いてある所は歴代志下26章であります。この歴代志下26章と列王記下15章を見ますと、ウジヤ王について詳しく書いてありますけれども、歴代志下26章の所をちょっと開いて見て下さい。なぜエレミヤはこの「ウジヤ王が死んだ年」というような言葉から始めたのかということですが、それは歴代志下26章に見ると詳しく書かれております。ウジヤ王は紀元前791年から739年まで52年間、王としての働きをされました。16歳の時に王に即位されました。
 前半として1節から15節までは敬虔で祝福されたウジヤ王について書かれております。後半の16節から23節までは堕落し裁きを受けた時期として記録されており、前半と後半では本当に対照的なウジヤ王について書かれております。とくに22節を見ますと、「ウジヤの他の事績は、初期のことも後期のことも、預言者アモツの子イザヤが書き残している」とあります。イザヤという預言者がウジヤ王について、つまり一人の人間の人生についてどういう歩みをしてきたのかを書き残したということであります。
 このウジヤ王がどういう人であったのかは26章4節を見ますと、「彼は、父アマツヤが行ったように、主の目にかなう正しいことをことごとく行った」とあります。「主の目にかなう正しいこと」を行う良い人でありました。そして、26章5節を見ますと、「神を畏れ敬うことを諭したゼカルヤが生きている間は、彼も主を求めるように努めた。彼が主を求めている間、神は彼を繁栄させられた」とありますが、この「神を畏れ敬うことを諭したゼカルヤが生きている間」というのが大切なポイントであります。

 私たちは毎週礼拝に出席し、聖書のみ言葉を説き明かしてもらい、その恵みをいただくことによって信仰生活を続けるのであります。このウジヤ王はゼカルヤという神のみ言葉を説き明かして下さる方が生きている間は本当に良いことをしたということであります。その時、いつも神を求め祈る人生を送ったのであります。「彼が主を求めている間、神は彼を繁栄させられた」と書いてあります。そして、26章7節を見ますと、「神は彼を助け」とあり、神様が彼を助けて下さったからこそ52年間国に繁栄をもたらす良い働きをしたのであります。その祝福されたいろいろな内容が7節から15節までに詳しく書かれておりますが、問題は26章の16節から変わっていくことであります。
 目に見えるすべての祝福されたことや成功したことをここで錯覚してしまいます。その16節には「ところが」と書かれております。「彼は勢力を増すとともに思い上がって堕落し」とあります。彼は「思い上がって」しまい、「自分の神、主に背いた」のであります。「彼は主の神殿に入り、香の祭壇の上で香をたこうとした」。成功したこと、国が色んな面で祝福されたことをすべて自分の力で成し遂げたように思い上がってしまったのであります。こういう傲慢なうぬぼれが問題なのであります。箴言16章18節にも「痛手に先立つのは驕り。つまずきに先立つのは高慢の霊」という御言葉があります。神殿では祭司だけが香をたく働きをするのですが、26章19節を見ますと、「香をたこうとして香炉を手にしていたウジヤは怒り始めたが、祭司たちに怒りをぶつけている間に重い皮膚病がその額に現れた」とあります。ウジヤというのは「主は私の力」という意味であり、本当によい名前を持っており、素晴らしい働きをした者ではありますが、今度は祭司たちに止められると怒ってしまったというのです。この怒りが問題であります。
 モ−セがカナンの地に入れなかったことには色々な解釈がありますが、イスラエルの民がのどが乾いて騒いだ時、彼は怒って杖で岩を二度たたいております。「お前たちのためにこの私がまた水を出すのか」と言うのです。2月に聖地旅行でネボ山からエリコの所を見下ろして見ました。モ−セはこのネボ山からカナンの地を目の前にしながら入ることができないで亡くなったという申命記34章の最後の記事を読みながら、なぜカナンの地に入れなかったのか。

 ここで私たちは信仰生活をしながら、高ぶり思い上がりに気をつけなければならないと思います。使徒パウロもコリントの信徒への第二の手紙12章7節で、「そのために思い上がることがないようにと、わたしの身に一つのとげが与えられました」と受け止めております。もし私たちが信仰生活をするとき、どうして私だけにこのような苦しいことがあるのかと悩む時があります。しかし、考えてみますと、その苦難というのは変装して近付いてくる神様の祝福だということには気が付かないですね。ただ苦しみだけを見て、「どうして私だけがこのような苦難を味合わねばなりませんか」と訴えながら神に祈る時がありますが、実は使徒パウロがコリントの信徒への第二の手紙12章で告白したことと同じであります。肉体のとげを神様はどうして取り除いてくださらないのかと、三度も祈ったのですが、しかし神様のお答えは「私の恵みはあなたに十分である」というものでした。そこで、それは思い上がらないために主が許してくださった肉体のとげであり、サタンの使いだということを悟るんですね。今日、私たちもあの時どうしてあんな辛いことがあったのかということを思い出す時、それは主が私にだけ本当に愛するがゆえに許してくださったということです。ウジヤ王が重い皮膚病にかかります。ヨブ記でも、ヨブが重い病気にかかった時、友人たちが訪ねて来て、それはきっとあなたが神の前で罪を犯したからに違いない。それを思い出して悔い改めなさい、と勧める友人たちのお話があります。この歴代志下26章の方でも、重い皮膚病にかかったウジヤ王の姿を見た時、私たちにどうしてそのような災いが起こるのかということそれは罪を犯したからではないかと思いをもって近付いて行きがちであります。私たちは神様のすべての思いを理解できません。目が不自由な方が象を触る時、どの部分を触るかによって表現が違ってきます。足を触る者は柱のようだとか、おなかを触った者は壁のようなものだとか、自分が体験したものがすべてのように思うんですが、そうではないということに気付くのです。
 このウジヤ王は重い皮膚病にかかって死ぬ日まで隔離された生活を送ります。23節を見ますと、「ウジヤは先祖と共に眠りにつき」ますが、「その遺体は重い皮膚病に侵されていたということで、王の墓の近くの野に先祖と共に葬られた」とあり、先祖の墓に一緒に葬られませんでした。ユダヤ人にとってどんなにすばらしいことか考えられていた先祖の墓に一緒に入ることができませんでした。

 イザヤは紀元前740年頃これらすべてのことを考えながら、「ウジヤ王が死んだ年のことである」とその召命体験を書いのだと思います。イザヤは自ら神にお会いしたという宗教体験を1節で「神を見た」と表現しております。また、5節の方でも、「主を仰ぎ見た」と表現しております。また、イザヤが見た神は、栄光の主であります。神ご自身の姿を見ることはできませんでしたが、その神様が栄光の御座にざして神の臨在が神殿にみなぎっているのを見たということであります。聖なる神を見たのであり、その時神殿には天の使いセラフィムが「それぞれ六つの翼を持ち、二つをもって顔を覆い、二つをもって足を覆い、二つをもって飛び交っていた」と書いてあります。これは聖なる神のみ前では天の御使いであっても、畏れおののく信仰の姿勢を示しております。そして、そのような信仰の姿勢を忘れてしまったウジヤ王の姿を思い起こすのであります。
 宗教学者ルドルフ・オット−は神様を「絶対的な畏れの存在(ultimateawe)」と表現しております。また、究極的な神秘的存在でもあるとも表現しておりますが、私たちは本当に神様を畏れる信仰というのはただ怖がることではなくて、そのような神様を意識すると神様の御心からそれた道を歩むことがないということであります。それは旧約聖書のヨセフからも見ることができます。ヨセフはポテパル将軍の妻のしつこい誘惑をも拒み続け、最後には逃げております。ヨセフには神様が見ておられるという信仰があったから、牢屋にぶちこまれながら、最後には神様が引き上げてエジプトの大臣にしてくださるという神を畏れる信仰の姿であります。

 私も31年前は韓国のソウルで国税局に勤めておりました。国税局の当時の仕事というのは本当に給料は少ないが、副収入が結構あるような仕事でありました。税金を認定する過程の中で色々な賄賂が入ってきました。わざわざ不正をしなくても、色んな面で入ってくるのですが、汗も流さないでそのようなお金が入ってくると、その使い道は本当に放蕩息子のたどったような道であります。しかし、神様を畏れる信仰、神様が見ておられるという日曜学校で幼い時から学んだ聖書のみ言葉を思い出したのであります。それは日曜学校の先生がちょうど黒い眼鏡をかけておられ、その眼鏡をして前に出すとこんなに目が大きく見えるんですよ。「神様はすべてを見ておられる。それを忘れてはだめだよ」という話を聞いた時、人の目はごまかすことができても、神様は見ておられるのだという強烈な印象を与えられました。税務署で仕事をしながら、止めようと決心しました。この世界におれば、「朱に交われば、赤くなる」と同じように、自然にそのようになることが見え見えでした。それは31年経った今になって分かったのです。私と一緒に国税局に入った友人と先月ソウルで会いました。5人の夫婦と一緒に会ったのですが、国税局の調査の班長をやっている方が山登りから降りて来て食事をするために現れた時にはすでに酔っ払って、煙草を吸おうとした時に店員が来て「ここは禁煙席ですから止めてくださいと言うと、怒って「社長を呼んでこい」とか「俺をだれだと思うのか」とか言って怒るんですよ。本当に恥ずかしかったんですけど、錯覚してしまうんですね。いろいろな所に調査に行くと、皆が頭を下げてくれるので、自分は偉い人だと錯覚してしまうんです。それを見て、私もその世界にいたならば、心が麻痺してあのような姿勢を取るのではないかと、本当に「主よ、彼を憐れんでください」と祈り、また自分がそのような姿勢にならなかったことを感謝いたしました。


 今日はこの信仰生活の十段階というところで、ルカによる福音書の方に移って見たいと思います。 第一は「選びと出会いの段階」と書いておきましたが、これはペトロがイエス様に出会うようになった背景のことを考えます時、私たちの人生はある意味で出会いの連続であることが分かります。だれに出会うかによって違ってきます。私は税務署に辞表を出して神学校に行こうとしましたが、母は教会に通っていても父は儒教に凝っておりましたから、法事を守るために洗礼を拒否しておりました。それで神学校に行くことには必ず反対されるので、「お父さん、もし私が国税局を止めても、韓国の三大名門校と言われる国立ソウル大学か延世大学か高麗大学に入れば良いか」と聞きました。その時、父は結構収入もありましたので、「そういう大学に入るのであれば、止めても良いよ」と言ってくれました。「分かりました」と言いましたが、神学部に入ることには多分反対されると思いましたので、兄は新聞放送学科を出ていたこともあって、それは韓国語読みで「シンバンカ」と言い、「シンガッカ」と結構発音が似ているんですね。それで父には延世大学の「新聞放送学科(シンバンカ)」に入りましたと言ったんですね。「ああ、シンバンカか」と言ってくれたのですが、1学期が終わって学校から通知票が来て神学部に属することがばれてしまいました。それで、「神学科って何するところや」と言うもんですから、そのとき正直に「私は聖書の言葉に触れることができて、一生この御言葉と共に歩みたくて決心しました」と答えました。父は未信者の友人に「私の息子は延世大学の神学部に通っているんだが、そこで学んで何になるのかね」と聞いたんですね。あの当時、「牧師になるんだよ、牧師に」と教えてくれたのですが、80年代の韓国の教会では信徒が増えてクリスチャンが25%にもなっていました。40年前までは、梨花女子大学で「将来どんな職業に相手と結婚したいか」というアンケ−トをとりますと、牧師は33位だったんですね。ところが、最近では牧師がその1、2、3位に入るんです。弁護士、医者と牧師が並んでおります。その当時、父の友人たちも「息子が牧師になったらいいじゃないか。立派なことだよ」と言ってくれましたので、その話を聞いた父はある日「本当に牧師になる気があるのか」と聞き、「そうです」と答えると、「息子が牧師になるのに、これまで拒んできた洗礼だが、わたしは洗礼を受ける」と言って洗礼を受け、法事も止めて追悼礼拝の形に変わったんですね。母は父のためにずっと祈ってきましたが、父が洗礼を受け、私が84年4月に関西学院大学の大学院に留学に来ておりましたが、ちょうどその大学院卒業と同時に父は召されました。亡くなる前に、病院に入院している父に聞いたことがあります。「肉体的な体はいつかは死ぬ。お父さんに一つ聞きたいことがあります。お父さんは死んだら、魂はどちらの方に行くと思いますか」と。父は「たしかに教会で洗礼を受けたじゃないか。そのイエス・キリストが十字架の上でわたしの罪のために亡くなったこと、その貴い血潮によって自分の罪が清められたことを信じているよ」と答えてくれました。飛行機に乗ってソウルに行けば、いつも父に会えたと同じように、今でも私は天に召されたときには父に再び会えると言う確信があるのです。そのような確信を持って、いまこの日本において牧師をしている者であります。
 これは父との出会いでありますが、本当にだれと出会うかということは大事であります。生まれてからは親との出会い成人してからは結婚相手との出会いがありますが、このペトロはイエス様と出会ったことによって変わって行くのですね。「選び」ということはヨハネによる福音書15章16節の御言葉のとおり、わたしがイエス様を選んだということではなくて、イエス様がわたしを選んだということなのです。仏教、キリスト教、本当に色んな宗教があるのに、百貨店で品物を選ぶように選ぶのではないんです。本当に神様が私を愛してくださって、選んでくださったのであり、わたしは神の民だというのが第一段階であります。

 つぎの「自分のものを献げる段階」というのは、ペトロが自分の舟をイエス様に差し出した段階です。ここに3Tと書いてありますが、タイム、タレント、レジャ−というのは、まず自分の時間を本当にどれだけイエス様のために出すことができるのか。つまり主日礼拝をきちっと守ること。それは非日常的な体験でありますが、このようなことが積み重なることによって、イエス様と自分との関わりが深まるのであります。タレントというのは自分の才能を主に献げることです。みんな神様からタレントを与えられているのであります。それを発掘することですね。「私には何もありません」というのは謙遜な表現でありながら、実は自分の与えられたタラントを土の中に埋めてしまうような姿勢であります。「主よ、私にはどういう賜物が授けられているのでしょうか」と祈る時、きっと思い起せることがあると思います。それを主に献げることです。トレジャ−というのは自分の宝物、本当に大切な物を主に献げることによって、神様と自分の関係が本当に切り離せないような関係になって行くということです。もし自分の舟を主に差し出すことがなかったならば、ペトロは家に帰ってしまったかも知れません。しかし、イエス様がペトロの舟を借りて少しこぎ出した所で話をしておられるので、家に帰ることもできないですね。

 三番目の「御言葉を学ぶ段階」というのは、イエス様が教えられたということはペトロの立場から見ると「学ぶ」と言うことになります。ロ−マの信徒への手紙10章17節を見ますと、「信仰は聞くことにより、しかもキリストの言葉を聞くことによって始まる」とありますが、信仰は御言葉を聞くことによって芽生え成長して行きます。

 四番目としては「命令が下る段階」であります。私たちが聖書を読む時、神様が私に個人的にくださる命令の言葉は何かということを注意深く読むことが大事であります。聖書の中には私に向けられた命令の言葉が必ずありますが、なかなかそれが目に入ってきません。ある時、主の命令の言葉に出会い、それに聞き従うという原則があります。

 第五番目として、「あえて従う段階」があります。主の命令を拒むこともできます。しかし、「あえて従う段階」というのは、本当に従順に神に聞き従う姿勢であります。主が喜ばれるのはいけにえではないと言われます。つまり、何回も何回も宗教的な儀式を繰り返すことではなくて、本当に大事なのは主の御言葉に聞き従うことであり、それを主は喜ばれるのであります。

 第六番目の「奇跡を体験する段階」というのは、主に聞き従う従順な生活をする時、不思議な体験をします。色んな奇跡を体験します。イザヤは炭火の火が現れて唇にそれが当てられ、「あなたの口に火が触れたので、あなたの咎は取り去られ、罪は赦された」という不思議な体験をしました。それが原点となり、あの時主があれほど愛して導いてくださったのにという、ヨハネの黙示録2章4節の「初めのころの愛から離れて」しまってはいけないのだということになるのであります。初めの愛を取り戻し、思い起こしなさい。もしそれをしないならば、燭台をあなたから移すと言われております。この奇跡を体験する段階で注意しなければならないことは、この体験を絶対化してはいけないということであります。それは恵みとして神様から与えられたものであり、自分のもののように錯覚してはならないからであります。

 それは第七番目にありますように「キリストを発見する段階」へと繋がって行くべきだからであります。ペトロはおびただしい魚が捕れたのを体験した時、むしろキリストを発見することに繋がったということであります。それもペトロが夜通し魚を捕ろうとしましたが一匹も捕れませんでした。「しかし、お言葉ですから、網を下ろしてみましょう」というあえて従う姿勢を取った時、おびただしい魚が捕れるとい奇跡が起こりました。そこで普通であれば、30年間もガリラヤ湖で漁をしている自分たちが捕れないで、なぜこの人はこれほどの大漁を得ることができるのか不思議がり、自分たちの仲間に引き入れて一儲けしようなどと考えるのではないでしょうか。しかし、シモン・ペトロはこの体験を通してキリストを発見したのであります。この発見という言葉を英語ではディスカバ−と言いますが、それは「覆いを外す」という意味を持っております。本当はもともとあったのですが、気が付かなかったということです。本当は神様が色々な形で恵んで今日に至るまで守り導いてくださったことに気が付かなかっただけであります。サムエル記上7章12節を見ますと「主はわれわれを助けられたと」言って「エベン・エゼル(助けの石)」を記念に立てております。この房総君津教会も50年間、ある意味では1951年からもっと長いわけですが、この歴史の中でここまで導いてくださったことを振り返りつつ、そこにおられる主イエスの姿を見ることがキリストを発見する段階であります。

 八番目としては「使命を与えられる段階」であります。キリストを発見することは真の自己発見に繋がります。「主よ、わたしは罪人です。私から離れてください」と言った時、主は「今から後、あなたは人間を捕る漁師になる」とペトロに言われ、新しい使命を与えられました。主は無理なことではなくて、その人格を尊重して今までは魚を捕る漁師であったが、これからは人間を捕る漁師になると新しい使命があることをお示しくださいました。

 九番目としては「所有を捨てる段階」であります。ペトロは自分の網も舟も捨て、陸に引き上げて、すべてを捨てて主に従いました。このルカによる福音書19章2節にザアカイという人が出て来ますが、この人は今の税務署の所長のような人でありました。私は聖書を読んで、私と同じ仕事の人がイエス様とであってこんなに変わったのかと思いました。価値観の転換をいたしました。ザアカイがイエス様に出会ってこのように変わるのであれば、「主よ、わたしもあなたに会いたいのです」と主に出会うことを願って祈りました。その時、本当に主が私に会ってくださったというこの恵みは決して忘れることができません。ザアカイは金持ちだったんですけれども、「主よ、わたしの財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します」と告白しております。もっと大きな価値が発見された時には、この世の価値は相対的なものになるということであります。

 最後に「全き献身の段階」でありますが、ペトロが「すべてを捨てて主に従った」ことやイザヤが「わたしはここにおります。わたしを遣わしてください」と言ったことに中に示されております。「神を見る(visio dei)」体験をした者が今度は「神の宣教(missio dei)」に参与しますとその献身を表しております。主は本当に「残るの者」を用いてその宣教の御業を成し遂げてくださるのであります。主は全き献身をする者に応えて、「見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいる」と約束してくださるのであります。そして、この約束の御言葉を主はこの場にいる一人一人にも聞かせてくださるのであります。